パテック フィリップに夢中

パテック フィリップ正規取扱店「カサブランカ奈良」のブランド紹介ブログ

パテック フィリップ正史要約その3-アンリ・スターン編

スターン兄弟の両親(父アンリ・エドアール・スターン、母マリー・ルイーズ・スターン)は、ベルン州の古い家系の七宝細密画家で、いづれもベルンの近郊のグルツェレン(Gurzelen)村の出身であった。ブランドの現経営ファミリーの原点であるから、一体どんな場所なのかとググってみた。
スイスの首都ベルンは過去バーゼル出張の際に宿泊拠点にしていたお気に入りの古都。コンパクトな主要市街が世界遺産登録地であり、徒歩か自転車散策がシックリで、どことなく奈良に似た落ち着ける街である。スイスの観光ルートには入っていないが、個人旅行の際には是非訪問をお奨めしたい。
そのベルンの南方には名峰の誉れ高いユングフラウやアイガーで有名な観光基地インターラーケンやグリンデルワルドがある。この地方への入り口に位置する町がトゥーン(Thun)。 グルツェレン村はその北北西7~8km、ベルンから南南東に約20kmに或る。グーグルマップで見たが、本当に何にもないのどかそうな田舎の村である。良い機会なので、パテックにゆかりの場所をマッピングしてみた。
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ル・サンティエ
:古くからの時計作りで知られたジュー峡谷の村の一つ。1880年創業のヴィクトラン・ピゲ社が100年に渡ってパテック社にグランドコンプリケーション・クラスを含んだエボーシュを供給していた。
ラ・ショード・フォン:ジュラ地方のとても有名な時計産業の町。有名時計ブランドの近代的な工場が立ち並ぶ工業団地の様相を成している。パテックの他にもブライトリング、カルティエ、タグホイヤー等々の大手に加えて、ジラール・ペルゴ、グルーベル・フォーセイ、ジャケ・ドローの様な工房的規模のブランドも多数存在する。
サン・ティミエ:ラ・ショード・フォンの西隣の村?PP子会社のフルッキガー文字盤製作会社が現在パテックの文字盤の大部分を製造している。同社は1860年創業の伝統的な文字盤製作の老舗であったが、2004年にパテックが破綻を回避すべく救済的に買収しスターンファミリーのルーツであった文字盤事業を復活する形となった。

1898年、両親エドアールとルイーズが故郷グルツェレンから直線距離で120km南西のジュネーブに出て工房を開く。1900年頃には6名の職人を擁するようになる。父エドアールは20世紀初頭に病死するが、気丈な母親ルイーズとシャルル・アンリ・スターンとジャン・スターン兄弟によって継続された文字盤製作事業は成功を収めた。
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上、1912年のスターン兄弟文字盤製作所。10年あまりで6名からかなり大所帯になっている。1920年代には近代的な工場を設立している。急成長と言って良いだろう。

1932年、初のリファレンスモデルである96モデルを発表。
※買収の年に、現代に至るスターン時代の象徴と言っても良い"クンロク=96"を発表してきた事が凄いと思う。1926年初代"オイスター"をロレックスが発表したように当時各社がニックネームを採用し始めていた頃である。当初ルクルトムーブメントが積まれたクンロクは、2年後の1934年から初の腕時計用に開発された自社キャリバー12'''120に積み替えられた。

1933年、技術部長にジャン・フィスター(50代半ば)を迎える。1940年代半ばから取締役会会長(様々な年代の様々な肩書?の記述有り)
1934年、スイスで生産される腕時計が懐中時計の2倍となる。
※1930年にはその比率は50%であり、4年で完全に主客が入れ替わっている。パテックの経営刷新は本当に綱渡りだった事が伺える。
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上:クンロクの初出1932年の個体の画像を過去見たことが無い。左端のゴールドモデルはストラップをオフィサータイプのように貫通パイプをビス留しているようだ。真ん中のステンレスの96はセンターセコンド仕様の12'''120キャリバーを積み、スイス南部イタリア語圏ルガノの"SOMAZZI"という時計店とのダブルネーム。右のクロノグラフ130モデルもステンレス製、結構早くから加工の難しいSS素材も使われていたようだ。価格的メリットなのか実用性なのか・・

1934年、アルフレッド・G・シュタイン死去
1935年、アンリ・フェリックス・スターン(シャルル・アンリ・スターンの息子、彫金家1911-2002)が、スターン兄弟文字盤製作所勤務を経て、24歳で入社。
1936年、ヴァルジュ―ベースの自社クロノグラフキャリバー13'''製作。搭載モデルのRef.130の初出は1934年なので、恐らく当初はヴァルジュ―エボーシュでスタートしたものと思われる。
※その他にも1934年~1939年のたった5年間で10種類のニューキャリバーが矢継ぎ早に製作された。これは当時各時計会社が得意分野の時計に事業集中する傾向の中で、パテックは逆に幅広い商品群の生産を目指したからである。またかつて懐中時計で成功したのと同様に、腕時計でのコンプリケーション化を目標に据えていたからである。

1937年、アンリ・スターン26歳でアメリカに渡り、パテック フィリップ・アメリカ社長代理に任命される。以降20年以上アメリカ市場を統括する。
1937年~1939年、画期的な新素材を採用したニヴァロックス髭ゼンマイやベリリウム青銅テンプの搭載が進み、多湿なエリア(主にアメリカを想定)での調速装置の酸化や帯磁への対策が進む。
1937年、飛行機による新しい時代の到来を見越して初めてのワールドタイム発表
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上:最初のワールドタイム腕時計Ref.515 HUとマルチタイムゾーン機構の開発者である時計師ルイ・コティエ(どことなく英王室の誰かに似ているような・・)

1938年、アンリ・スターンの長男フィリップ・スターン(現パテック フィリップ名誉会長)誕生
1939年、創業100周年、社員数107名規模
1939年ー1945年、第二次世界大戦勃発。
※アンリ・スターンが渡米するまでの数年間、新生パテックは北米及び南米の市場が崩壊していた為、主戦場を仏・西・伊・英に戻して立て直しを試みた。経営状況は少しずつ好転しつつあったが、第二次世界大戦が始まると戦場となったヨーロッパ市場が未曽有の混乱に陥る。この状況をヨーロッパは戦後も何年も引きずった。パテックはアンリが精力的に営業活動を北米と南米で行い、戦後の好景気への備えを着実に行っていった。一方、スターン兄弟には文字盤以外の時計製作のノウハウが無かったにも関わらず、事業継承当初から上質な自社主導のエボーシュ開発を志向し、その実現策として経験豊かで優秀なマネージャーを技術部門のトップとして外部から招聘する。これらの市場の選球眼、人材登用と投入、そしてそのスピード感は素晴らしい経営センスだと思う。

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上:事業継承後、エボーシュの自社化を進めながらも外部エボーシュも活用して、腕時計に於ける複雑機構の先駆者となる事でブランドの地固めがなされた。

1941年、アンリ・スターン中南米を訪問。永久カレンダークロノグラフ1518モデル生産開始
1942年アメリカ参戦、アンリ・スターンがユニバーサル・ウォッチのアメリカ輸入代理店となる。永久カレンダー1526モデル生産開始
1944年、シャルル・アンリ・スターン永眠
1944年、天文台コンクールのカテゴリーに腕時計(ムーブメント直径30mm以下)が加えられる。
1946年、アンリ・スターン・ウォッチ・エージェンシー株式会社設立(パテックとユニバーサルの合衆国の独占的ディストリビューター)
1948年、アンリ・スターンが早くもクォーツの将来性を見越して電子部門を創設した。
1949年、1951年ジャイロマックス・テンプの特許取得。
※パテックの開発した独自技術は本当に寿命が長い。70年後の現行モデルの機械式腕時計の全てが、この画期的なテンプを採用している。

1953年、バーゼル産業見本市で自動巻機構搭載ニューキャリバー12'''600 ATを積んだ2526モデルを発表。
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上:パテックの自動巻導入は遅めで1953年4月のバーゼル産業見本市だった。特許取得した自動巻機構とジャイロマックス・テンプ、さらにソリッドゴールド・ローターを備えたニューキャリバー搭載のRef.2526として発表された。尚、この新しいパッケージが主力エンジンとして製品への搭載が盛んになるのは1960年開発のCal.27-460(1960年)からとなる。

1950年代後半、盛んに対磁時計が開発される
1950年代半ば、アルベール・ジルベール(1930年生まれ)が宝飾工房の責任者となる。
1958年、ニューヨークとヨーロッパ(ロンドン、パリ)を結ぶ大西洋横断のジェット旅客機による定期路線就航開始
1958年、電子部門が世界初のミニュチュア・クォーツ・クロノメーター(クロック)を完成。
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上:1958年撮影の47歳のアンリ・スターンと技術部長ジャン・フィスタ―

1959年、ジャン・フィスタ―社長(何時から社長なのか未記載)82歳で引退、アンリ・スターンが48歳で社長就任、当時の日産は23個(年産6,000個)
1959年、ジュネーブの時計師ルイ・コティエが発明したトラベルタイム機構をパテックが特許取得
1960年、ニューヨークでアルベール・ジルベールの功績により3年連続で「ダイヤモンド・インターナショナル・アワード」受賞
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上:電気の普及、ジェット旅客機の就航が新しい実用時計のニーズを生んだ時代。一方で独創的なデザインや宝飾性に富んだ時計作りも同時に進行した世界的好景気の時代。

1960年代、時計に於ける七宝装飾技法の衰退が顕著
1963年、西ベルリン(当時)市長が公式訪問をしたジョン・F・ケネディにパテック フィリップ製のピース・クロノトーム(クォーツクロック)を贈呈。
1964年、ラ・ジャンクション工場落成、創業125周年
1966年、パテックが天文台計時精度コンクールへの参加を打ち切る。精度コンクール自体も1968年に終了。
※PP正史には1900年代初頭から此処に至るまでの他の時計メーカーを全く寄せ付けない輝かしいコンクールでの成績が列挙されている。特に1944年~1966年迄は優秀な時計師(精密歩度調整師)のメンバー個別の成果を丁寧に紹介している。本稿では割愛するが、当時のパテックのアンティークピースの高騰理由の一つである事は間違いなさそうだ。

1967年、バチカン市国のローマ法王庁に日差1,000分の1秒の電子マスタークロックを納品する。
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上:1969年発表のセイコー初代アストロン成功の陰には他ブランドのクォーツや音叉時計等の開発ストーリーがあった。アメリカのブローバやスイスのロンジン、ジラール・ペルゴ、CEH( Centre Electronique Horloger/電気時計研究)が知られるが、パテックもクロックに関しては結構頑張っており、新時代到来を見越していた様だ。

1967年、女流七宝細密画家シュザンヌ・ロールがパテックで七宝細密画を描き始める。2002年迄在籍。
1968年、ゴールデン・エリプス発表。10年間ベストセラーとなる。
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上:1950年代後半以降、アンリ・スターンはデザインと美の境地を開いてゆく。それはデザイン性の高い宝飾や革新的で大胆なケース形状や文字盤の採用、または伝統的な七宝技法の継承努力など多岐に渡っていた。

1969年、老舗ジラール・ぺルゴ社(1791年創業)がスイス時計業界で初の株式上場。クォーツ時計の量産にも成功。
1969年、機械式時計最後の開発競争であった自動巻クロノグラフが各社から発表される。セイコー、ゼニス、4社共同(ブライトリング、ホイヤー、ハミルトン・ビューレン)
1969年セイコーウォッチ株式会社がクォーツ駆動腕時計初代「アストロン」を発売
1970年、家族企業ホイヤーを創業者の曾孫であるジャック・ホイヤーが株式公開する。
1970年、フィリップ・スターンに長男ティエリー・スターン(現パテック フィリップ社長)誕生

※「第二次世界大戦に続いた四半世紀は、パテック フィリップの黄金時代であった。」(PP正史203P)とあって、まずアメリカで好景気は始まり、次いでドイツ・フランス・イタリア等のヨーロッパでも経済が再生された。テレックス、ジェット旅客機、テレビなど画期的な文明の利器が誕生した。これらの副次的産物として耐磁性能や容易な時差表現(トラベルタイム)が、腕時計の新たな機能として開発されるようになった。しかしながらこの時代のパテックの最大の技術革新は1950年前後の特許ジャイロマックス・テンプの発明だろう。1960年代後半にマイクロステラナットを開発したロレックスを例外として、他の高級時計ブランドが、2000年代以降こぞって採用し始めたフリースプラング方式の圧倒的な先駆者であった。
PP正史195Pでは文献を引用して、第二次世界大戦直後の1947年・1948年の合衆国向けスイス時計輸出価値は開戦前年1938年の6倍に増加とある。また1940年~1960年代初めの間に生産されたパテックの約半分が、裕福なアメリカ人に国内外で購入され、1965年頃までドイツ・イタリア・イギリスでの販売は難しかったらしい。

今回の章は殆ど近代史のおさらいだった。スターンファミリーの時代はもっとまとめやすいと思っていたが、この時期は谷から始まって山が来て、また谷の予感が最後に来ている。その間、加速度的な文明と技術革新に呼応してパテックは躍進し、アンリ・スターンは実に多方面に経営手腕を発揮するので、幹と枝と葉っぱがコンガラガッテいて正直大変だった。

文責:乾
参考・引用:PATEK PHILIPPE THE AUTHORIZED BIOGRAPHY パテック フィリップ正史(Nicholas Foulkes ニコラス・フォークス)
PATEK PHILIPPE GENEVE Wristwataches (Martin Huber & Alan Banbery)

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