どこの家業(ファミリービジネスはこう呼びたい)でも世代交代は難しく、悩ましく、複雑になりがちだ。パテック フィリップのスターンファミリーの場合も明確な時期や出来事と言う節目が判り辛い。一応アンリ・スターンの有終の美的な記述は下記である。
1980年:ル・サンティエの時計工房ヴィクトラン・ピゲ社(1880年創業)の創業100周年記念祝賀会にアンリ・スターン(当時69歳)が主賓で出席。
※アンリは相当なパイプ煙草愛好家であったらしいが、2002年で91歳で他界されるまで長生きをされた。好きなレマン湖の船遊び等で随分と充実した余生を過ごされたのであろう。当然ファミリー意識溢れるスターン家の遺伝子からして、フィリップ・スターン名誉会長も最低でも2027年迄は頑張れるという事で、正規販売店としてこんなに心強い事はない。

1969年:老舗ジラール・ぺルゴ社(1791年創業)がスイス時計業界で初の株式上場。クォーツ時計の量産にも成功。
1969年、機械式時計最後の開発競争であった自動巻クロノグラフが2社+1グループから発表される。セイコー、ゼニス、4社共同(ブライトリング、ホイヤー、ハミルトン、ビューレン)
1969年:クリスマスにセイコーウォッチ株式会社がクォーツ駆動腕時計初代「アストロン」を発売
1970年:家族企業ホイヤーを、創業者の曾孫であるジャック・ホイヤーが株式公開する。
1970年:フィリップ・スターンが経済金融誌へのインタビューで、業界で巨大化してゆくグループへの参加を、現在も将来も否定する見解を発表。

前回記事の最後の方で、セイコー発信のクォーツショック(クライシスと言う呼び方も有)、さらに家業の集合体であったスイス時計業界の法人化への移行の兆しに触れた。しかし良く理解できないのが、当時アストロンが発売されたと言っても1969年12月に200個生産し、100個程度を日本市場で売ったに過ぎない。45万円(当時の中型車価格)と当初は非常に高級時計であり、量産とコストダウンには数年は掛かっている。にもかかわらず、ほぼ時を同じくして1970年前後にスイス時計業界に一気に暗雲が立ち込んできたというのは少し解せない。
そこで巨大化してゆくグループなるものを自己考察してみた。まずは1930年発足SSIH(Société Suisse pour l'Industrie Horlogère、スイス時計工業株式会社:中核ブランドはオメガ)。それと1931年発足ASUAG(Allgemeine Schweizrische Uhrenindustrie AG、スイス時計総合株式会社:中核ブランドはロンジン)。この二つあたりの事だと思われる。元々これらのグループは第一次世界大戦時の不況対策でグループ化され、その後ライバルとして成長をして来た。ちなみに両グループは、クォーツショックにより経営危機に陥って合併し、紆余曲折を経て現在スウォッチグループとなっている。余談になるが、このグループ統合の立役者が、かの有名なスウォッチブランド(スイスウォッチ略がブランド名由来)の創業者ニコラス・G・ハイエックである。
さらに1970年当時スイス時計工業界には、比較的近代的な一貫メーカーもあったが、まだまだ家内的手工業に毛の生えたような工場も多数あった。その保守的な体質の改善、合理化や近代化を銀行が主導して大胆に推し進めていった過渡期でもあった様だ。
フィリップの父アンリも"独立と自由"の維持を強く望んでいたが、他グループの傘下に入らずに実現する為には、自らが家業を大きく成長させ、圧倒的に健全な財務状況を構築する事が必須だった。これを真剣に考えやり遂げたのが、ちょうどその時期に事実上は、経営トップを担うようになったフィリップだった。
1970年代初期の年産量は15,000個、社員数366名とある。明確な時期の記載は無いが、当時は借入金額が年間利益を上回っており、健全な企業体質への早急な改善もフィリップの課題であった。以下少々、前回の記述を繰り返す。

1970年:フィリップ・スターンに長男ティエリー・スターン(現パテック フィリップ社長)誕生
1970年:パテックがスイス時計会社21社で共同開発したクォーツムーブメント"ベータ21"を搭載したRef.3597/2や3603/2を発表。
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しかし、パテックはこの共同開発ムーブに満足できず、次のトレンドになりそうだったデジタル表示タイプの非採用をも決定し、自社のメカニカルムーブメントと同等の品質基準を満たすアナログ表示のクォーツムーブを独自で開発した。

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この際に開発された小型で樽型のE 15クォーツキャリバー、丸形のE 23は実は今も現役である。前者はレディスのベストセラーTwenty~4®Ref.4910系に、後者のE 23はレディスノーチラスRef.7010系に搭載されている。しばらくの間はメンズコレクションにクォーツモデルも生産・販売実績が有ったが、現在はラインナップされていない。パテックはムーブメントも経営者同様に長寿だが、クォーツに於いてはギネス級の長寿キャリバーだ。
以前は、個人的に何故にそんな古臭いムーブを使い続けるのか不思議だった。精度も現代の最先端クォーツは年差であり、今年のバーゼルワールドに於いて"最高傑作"ではないかと秘かに時計評論家達の注目を集めたのはシチズンの年差±1秒の(GPSや電波の助けを借りない)純粋クォーツムーブ搭載モデル0100(ゼロイチゼロゼロ)だった。
随分以前にフィリップ・スターン名誉会長に直接会話するチャンスが有って、メカニカルウオッチのハック機能(秒針停止)の必要性について尋ねた事が有った。
「日差数秒の機械式時計にその機能は必要だとは思いません」フィリップは返す刀のごとく回答した。しかし今年発表されたパテックの最新の基幹ムーブメントCal.26-330系は、群を抜く高精度ならではの長所を活かせるハックを、満を持して搭載してきた。それぐらいパテックのメカニカルの精度は向上をし続けたという事だ。逆に精度的に「ハック、本当に要りますか?」というレベルの機械式時計が、世の中にはたくさん有ると言うべきなのかもしれない。
そんなパテックにとってクォーツキャリバーの月差数秒の精度は、必要十分の実用性であり、むしろアンティークの様なオールドクォーツムーブを使い続けるメリットが彼らにとっては優っているのだと思う。それは"創業以来リリースした全てのタイムピースに対して修理・修復の確約"というブランドの根幹を成すとも言える重要な社是である。
もっと簡単に言えば「セイコーの初代アストロン(1969年)はとっくにムーブの交換をするような修理は出来ない」という事だ。ベータ21に早々に見切りをつけたのもその辺りの思惑が有ったからかもしれない。

1971年:アメリカがベトナム戦争に疲弊し、不況が鮮明になってきた。いわゆる8月のニクソン・ショック以降、金と米ドルの兌換が停止される。
米ドルも下落が鮮明になる。70年代半ば1USドル=4.33CHF、70年後半には約1.60CHFと̠マイナス63%もの大暴落となった。この結果米国市場でのスイス時計は3倍価格へと値上がりをした。いつの世も悪い事は重なる様で、スイス時計業界の金融団主導の構造改革の流れ、米景気の悪化と金融危機に加えて"クォーツショック"と言う三重苦に見舞われたのが1970年~1990年頃のスイス時計業界だった。
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上)1972年、世紀永久カレンダー搭載懐中時計を米工業家のコレクターに受注生産品として101,650CHFで販売。関連過去記事あり

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上)ル・サンティエ村とアンリ・ダニエル・ピゲ

この世紀永久カレンダーは超ベテランのパテック社の古参時計師数名が、ル・サンティエのアンリ・ダニエル・ピゲ工房(PPエボーシュ専用のパテックの子会社)にてオーソドックスな職人技によって製作された。尚、パテック フィリップ・ミュージアムにはこのプロトタイプが現在展示されている。

1973年:パテック フィリップ過去最高の売上5000万CHFを達成。
1973年:世界初のデジタル腕時計「パルサー」がハミルトンから登場。
1975年:シチズンが世界初、年差±3秒の高精度クォーツウォッチ「クリストロン・メガ1975」発表。
1976年:シチズンが世界初、太陽光を動力源とするアナログ式クォーツ腕時計「クリストロンソーラーセル」発表
1978年:シチズンが世界初、クォーツでムーブメント厚1mm未満を達成し、実機搭載に成功。
1980年:シチズンが世界最小の女性用アナログクォーツ腕時計を発表。

同時期にはウォルサムがワンクロン・エレクトロニック(時計の詳細不明)やエルジンがデジタル腕時計に進出。アメリカ発の大量生産のノンメカニカルウォッチの攻勢が始まる。
パテックを始めスイスの老舗時計メーカーが天文台コンクール競争に明け暮れていた1950年代後半には、もう既に「腕時計の電子化」の熾烈な開発競争が始まっていた。1957年には米国ハミルトンによる"テンプ駆動式電池腕時計"、1960年には同じくアメリカのブローバが、日差わずか2秒の音叉時計"アキュトロン"を発売している。調べ始めるとこれまた興味深く、時計屋のオヤジとしては捨て置けないが、本稿の主題と外れるのでまたの機会としたい。尚、ご興味が有れば各社HPをご覧ください。
https://museum.seiko.co.jp/knowledge/Quartz01/
https://www.citizen.co.jp/ir/investor/history.html

1973年:第一次石油危機発生
スイス時計の市場占有率は1977年の43%から1983年の6年間で15%まで下落した。製作拠点としての地位も日本、香港に次ぐ3位へと転落。スイス国内の業界労働者数は9万人から4万人と大量の失業者が溢れかえった。1974年に最高数量を記録した完成時計とムーブメント合計数8,440万個から、1983年には3,020万個へとマイナス64%減少した。
アジア(香港、シンガポール)での低賃金、長時間で過酷な労働環境での時計生産が急速に発達し、スイス時計に壊滅的な打撃が顕著になる。

1977年:そんな最悪状況の中で、パテック社はマイクロ・ローターを搭載した極薄型自動巻ムーブメントCal.240を開発・発表。
当時世界で絶好調のクォーツムーブが全盛期を迎え、さらに薄型化競争が進んだ結果、ケースデザインの自由度が増して、エレガントな時計作りが可能になっていった。
スターンファミリーは、これに対して敢えて機械式で対抗すべく実用性に優れる自動巻でありながら徹底した薄さを追求するムーブメント開発を設計陣に求めた。その答えがCal.240。
発表依頼40年以上が経過した今日も、Cal.240はパテックの基幹キャリバーであり続けている。40年もの長期間に渡って,このムーブメントを搭載して発表された傑作モデルは物凄く多い。
それまで手巻ムーブ(Cal.23-300)でしか薄さを確保しえなかったゴールデン・エリプスの後継エンジンとして、初搭載されデビューする事で、実用性と極薄エレガントケースを両立したタイムピースを、センセーショナルにアピールする事に成功した。
現行ラインナップではセレスティアル系、ワールドタイム、ノーチラスでは通称"プチコン"と呼ばれるRef.5712系がそうだし、ひょっとしたら当店では、生産中止までに納めきれないかもしれない"超"がつく人気のノーチラス永久カレンダーRef.5740/1もこの熟成エンジンを積んでいる。また様々な装飾が施される事で文字盤が厚く成りがちなレアハンドクラフトの多くのモデルも、この傑作極薄エンジンが積まれている。さらに言えば、このキャリバーの構造レイアウト上、4時半辺りにしかスモールセコンドを配置出来ないのがCal.240の特徴だが、装飾性を楽しむレアハンドクラフトに秒針は不要であり、デザイン的に全くハンディとはならない。


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元々、マイクロ・ローター式自動巻の特許はスイスの時計会社ビューレン(Buren Watch Company)が1954年に開発・所有をしたが、1955年にユニバーサルがその特許を買い取ったいきさつがある様だ。またアンリ・スターンがアメリカでユニバーサルの販売権を持っていた経緯からして両社は浅からぬ関係で有ったのかもしれない。
現役レジェンドとも呼べそうな偉大なムーブメントCal.240。当時パテックでその開発に当たったのが、ユニバーサル・ジュネーブでの在籍経験が有った1968年入社の技術部長(ベレ氏)であった事が、半年以内での試作品テストを可能にし、短期間での設計開発完成の要因であったのだろう。
少し不思議なのが、この逸品キャリバーがデビュー時のゴールデン・エリプス以降、1985年の永久カレンダーRef.3940発表まで、これと言った搭載モデルが無かった事だ。
全くの私見ながら、恐らく当時経営者として油が載りだしてきたフィリップ・スターンにとって、圧倒的な自信作でもって高級機械式時計の"復活の狼煙"とすべき作品を模索し、市場投入のタイミングを計ったが為の空白期間だったのではないかと推察している。来年のバーゼルなどでフィリップ・スターンご本人にお会い出来れば、是非自ら確認してみたい。
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上)パテック社と非常に長い信頼関係を持つ、チューリッヒの超老舗時計店"ベイヤー"の225周年(1985年)記念限定モデルのRef.3940。限定本数不明ながら画像の裏蓋刻印からNo.1である事が判る。→参考記事

誕生以来、今日に至るまでCal.240を搭載した名品は数えきれない程ある。ご興味のある方は拙ブログで過去紹介した記事を、ご笑読頂ければ幸いである。
Ref.5230ワールドタイム凛々しい三男2019番外編(希少な手仕事 レア・ハンドクラフト)5740/1G-001実機、やっと来たお宝!ノーチラス永久カレンダー5738R-001ゴールデンイリプス新作珍客!レギュレーター5235G5327G-001永久カレンダー極薄自動巻キャリバー40周年記念モデル-6006G-0015230R・G ワールドタイム第三世代5712/1A-001ノーチラス プチコン ステンレス

文責:乾
参考・引用:PATEK PHILIPPE THE AUTHORIZED BIOGRAPHY パテック フィリップ正史(Nicholas Foulkes ニコラス・フォークス)
PATEK PHILIPPE GENEVE Wristwataches (Martin Huber & Alan Banbery)
PATEK PHILIPPE INTERNATIONAL MAGAZINE Vol.Ⅳ 03