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パテック フィリップ正史要約その6-フィリップ・スターン後編

出来ればフィリップ・スターン時代は前後半の2回で終わりたかった。正直9月半ばに正史要約を始めた時は2ヶ月位で終えるつもりだった。何しろ2019年新製品が徐々に入荷する時期であり、その紹介は非常に興味深いし拙ブログを構成する大事な記事だからである。しかし正史要約の途中にそれを挟む事は、煩雑となり中途半端すぎて出来なかった。かくして取り敢えず入荷してくるニューカマーについては、撮影だけ済ませてご納品という事になった。撮影から原稿着手迄の時間が長くなると、どうしても印象が薄れがちになる。撮影と相前後して手元に現物を置きながら、原稿を同時進行して行くのが理想的なのだが・・
正史要約がとうとう4か月目に突入してしまった。それ程読めば読むほど正史は奥深く面白い。特にフィリップ・スターンの功績があまりにも偉大であるため、3分割となってしまった。本稿では創業150周年祝賀を成し遂げる事でスイス機械式複雑時計の復活を確信したフィリップが、家族経営による独立路線に邁進し、確立し、そして維持継続して、将来的なティエリー・スターンへの経営継承の為に時計製造の垂直統合を図り、事業規模拡大をダイナミックに進めてゆくフィリップ・スターン経営の総仕上げ編となっている。

フィリップ・スターンは1970年代初めに将来の年間生産量を約25,000個まで増産したいと考えていた。しかし下方修正余儀無しで1990年に17,500個へと目標は定めなおされた。大きな称賛を浴びたキャリバー89の様な超複雑時計の開発は、ブランドの技術的優位の確立に貢献しても、僅か4個の市場投入では事業構築の基盤にはなり得なかった。パテックをパテック フィリップたらしめる為にこれらの超絶時計の開発と発表は必須であるがゆえに、その原動力として商業的なシンプルかつ上質な高級時計を量産する事での事業拡大が必要不可欠であった。スイス高級機械式時計の復活にフィリップが邁進した結果、急速に業界は投資家達の興味と注目を集めメゾンを貫く事が困難になって来ていた。実に皮肉な話ではある。
フィリップ・スターンが社長に就任した1993年当時のパテックの製造拠点は、歴史的なローヌ通りの本社を筆頭にジュネーブ市内の8ヶ所に点在していて極めて生産効率が悪かった。またどうしても各拠点でセクショナリズムに陥りやすくベクトルの統合も難しかったと推測される。「市内各所に散在する工房からなる小さい王国のパッチワーク」と比喩したフィリップは究極の殿様ではあったが、各拠点には封建的な城主も多々いた事を示している。

フィリップが目を付けたのは、ジュネーブ郊外の小さな村プラン・レ・ワットであった。1990年代初めのプラン・レ・ワットには車の販売代理店、荒廃した古城、数軒のレストラン以外は何もなく、およそパテックの新しい統合拠点としてふさわしい場所とは誰もが思えない辺鄙なエリアであった。
時代的には、まだまだクォーツとの戦いは継続しており、機械式時計製作への巨額な投資などは疑問視されていた状況で、人里離れた25,000平方メートル(約7,600坪)の土地にパテックの年商に等しい投資をフィリップは大英断で行った。敷地内には15世紀に築城された古城シャトー・ブランが有り、後にパテック フィリップにより完全にリノベーションされ、現在はVIP招待サロンとして用いられている。尚、その後同地には世界的に著名な時計ブランド(ロレックス、ヴァシュロン・コンスタンタン、ハリー・ウィンストン、ピアジェ等)が続々と工場を建設し、現在は一大時計工場団地と化している。
新工房とシャトー・ブラン.png
1996年に工場は落成した。巨大な新拠点は訪れる人々にブランドの世界観を見て体験する事を可能にし、それまで掴みづらかったブランドの大きさを等身大で理解させる事を容易にした。これが結果的にはパテックの知名度向上とさらなる需要喚起に結び付いた。
翌1997年には新本社工房の正式落成を記念して2種類の限定モデルが発表・発売された。一つは創業150周年記念として復刻されたシンプルなオフィサーケースモデルRef.3960(1989年)を発展させたミニット・リピーターRef.5029。もう一つは1950年を挟んで前後15年間に製作されていた"パゴダ(PAGODA:仏塔)"と称される個性的なケースシェイプを持つRef.5500(紳士用)とRef.4900(婦人用)であった。前者の限定モデルにはスイス公式クロノメーター試験COSCとジュネーブ・シール認定機関が合同して特別に発行した個別歩度証明書が、時計製作史上はじめて付けられていた。このパゴダの冷間鍛造用の金型も破棄され将来の再生産を不可能にする事で、限定モデルの希少性が約束された。
新工房落成限定_b.png
正史では話が少し横道に逸れ、この頃のティエリー・スターンの動向に触れている。祖父アンリ、父フィリップ同様にニューヨークのヘンリー・スターン・ウォッチ・エージェンシーでの見習いを終了したティエリーは、1997年にジュネーブに戻りジュネーブ・ヴィユー・グルナディエ通りのケース・ブレスレット工房のアトリエ・レユニ社(同所はパテック フィリップ・ミュージアムとして現在再活躍中)で修行を積む。1996年迄稼働していた同工房も新社屋に移転され、ティエリーは新生パテック フィリップでのキャリアをスタートさせる。この時期まだまだフィリップの時代であり、ティエリーの経営参画はもう少し後の事になる。
寄り合い所帯でスタートした巨大な新工房では、古参の棟梁達の適応に数年を要したが、創造性と発明の才が一気に開花して、それまでのベーシックでシンプルな時計群(カラトラバ、エリプス、ノーチラス・・)とグランド・コンプリケーション・コレクション(永久カレンダーやミニット・リピーター等)の間を埋める(有用な)コンプリケーションが誕生した。1996年発表の年次カレンダーRef.5035がそれである。
現在では各ブランドが様々なアニュアル(年次)・カレンダーを製作しているが、パテックは間違いなくその先駆者である。アニュアル・カレンダーを製作する一番簡単な方法は、実に単純で乱暴に言えば従来の永久カレンダーから48カ月で一回転する歯車を省くだけでよい。パテックが凄いのは全く別のアプローチで従来の永久カレンダーを構成する主要パーツであるレバーやカムを使わずに歯車の組み合わせによる新設計で特許技術を獲得し完成させた点にある。機械式時計に於いて歯車の増加=摩擦の増大なので、高トルクのゼンマイパワーが必要となりパワーリザーブ的には厳しくなる宿命を負っている。この課題をパテックの技術陣は歯車の歯型曲線の新設計と開発、さらにお家芸である徹底的な歯型研磨で摩擦の増加を極力抑える事で乗り切った。このプロセスの成就は、単に年次カレンダーモジュール製作に留まらず、それ以降のパテック フィリップ製品の様々なコンプリケーション化に大きく寄与したと推察している。
さらには温故知新と言えるトラベルタイムRef.5034が1997年に発表される。このモデルは約40年前に遡る1959年にジュネーブの時計師ルイ・コティエによる特許の下で製造開始されたRef.2597HSが原点である。
レディス用コレクションにも、それまでのパテックには全くラインナップされた事の無い画期的なタイムピースがリリースされた。1999年発表のTwenty~4®は、時代を反映し自立した女性が、自分自身での購買を決意する高い実用性を備えた時計の提案だった。現在に続くこのレクタングラ―のベストセラーレディスウォッチは、女性達にパテック フィリップ・ブランドへの門戸を開く大きな役目をはたした。
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ミレニアムイヤーの2000年には2つの香箱を搭載した10日間のロングパワーリザーブモデルの10デイズRef.5100が限定製作された。その独特なケースシェイプは、1954年に発表されマンタ・レイ(鬼イトマキエイ)と呼ばれたトノ―ケースを持つRef.2554からインスパイアされた。尚、同モデルのエンジンは2018年2月に生産中止が決まったゴンドーロ8デイズRef.5200に引き継がれていた。現行ラインナップには同エンジンの系譜に連なるモデルが無いが、個人的にはきっと近い将来に新機軸でリバイバルされるものと信じている。
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特別な年に過去の膨大な遺産から想起されるケースやダイアルデザインを用いて最先端のパテック技術を盛り込んだエンジンを積むというスタイルは、熱狂的な時計愛好家の渇望を生みブランドをさらに高みへと導いていった。
しかし何と言ってもミレニアムイヤーモデルの極め付きは"スターキャリバー2000"である。150周年記念モデル"キャリバー89"開発時と同様にパテック時計師の頂点であるポール・ビュクランを含むドリームチームが1993年に結成され開発・設計・製作に当たった。
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135個の歯車、73個のスプリング、33枚の受けを含む1,118個のパーツからなるムーブメント、21の複雑機能と6つの特許技術革新を誇るスターキャリバー2000の相当に複雑な詳細をここに記述するのは割愛するが、4素材(YG,WG,RG,PT)のセットが4つ、さらにPT素材のみが4つセットされた特別なセットが一つ製作された。製作時計合計数は20個という事になる。これはプロトタイプを含めてたった5個しか製作されなかった(出来なかった?)キャリバー89に較べて、部品点数と複雑機能数で若干劣るとは言え凄まじい技術革新の10年間があったと言わざるを得ない。

マニュファクチュール・パテック フィリップは激動の20世紀を次のように総括している。「この1世紀の間に、機械式タイムピースは懐中から手首へと移動し、電子的に動くクォーツ・タイムキーパーの前で消滅の危機に直面し、次いで辛くも破滅を免れ、そして世紀末になって評価され重んじられるオブジェとして再興した」と・・
新しいミレニアムの初め数年間には、トゥールビヨンをいくつかのタイムピースで精力的に復活させている。まず2001年にスカイムーン・トゥールビヨンRef.5002をケース径わずか42.8mmという実着用サイズでリリースした。さらに2003年にはミレニアム・ウォッチであった10デイズ・レクタングラ―Ref.5100の系譜である10日巻トゥールビヨンRef.5101を発表。
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上画像:左10デイズ・トゥールビヨンRef.5101(2003)、右スカイムーン・トゥールビヨンRef.5002(2001)
これらのテーマ性を持った複雑時計製作と並行して、フィリップ・スターンが情熱を傾けたのが、約1000点に及ぶ個人コレクションを展示・紹介する博物館の開設であった。彼はパテック フィリップによって製作された時計展示に留まらずに時計製作史の全期間にわたって歴史的に重要な傑作を網羅陳列する事をも画策した。これはヨーロッパ、特にジュネーブの希少な時計群と自社ブランドの創業以来の傑作時計の展示という2つのテーマ性を持ったミュージアムに他ならなかった。これらの崇高で貴重なタイムピースを収める箱としてケース・ブレスレット工房アトリエ・レユニ社の為に、1975年に購入されたジュネーブ市内ヴィユー・グルナディエ通りの建物が大規模にリノベーションされた。このリノベーション事業を委ねられたのは、フィリップの妻ゲルディ・スターンであった。「展示品の品質とその展示方法において、世界で最も美しく誉れ高い、時計製作のみに捧げられた時計博物館」をコンセプトに2年間に渡って改装は進められ2001年に落成した。
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フィリップ・スターン夫妻の情熱が込められたミュージアムには過去2回訪れている。時期は定かではないが開館後の間も無い頃に駆け足で見た。確か早春でSIHH(ジュネーブサロン)の最中に見たはずなのだが、短時間かつ知識不足過ぎて歴代クンロクモデルぐらいしか印象になかった。2度目はパテック社の招きによってファクトリー見学ツアーのメニューとして訪れた2012年11月。この時はガイドが付き、さらに正史の翻訳家でもある小金井先生のライブ通訳と解説も聞けた贅沢極まりない見学で、ほぼ全体像を把握する事が出来た。しかしである。もう一度じっくり一人で訪れたいのである。この4年半、手元でダイナミックにパテックの現行モデル販売に関わり、拙ブログを書き込む内に知らずと身に付いたブランドと傑作タイムピースの知識。さらに今回四苦八苦しながらも書き進めてきた正史の要約を通じて得られた数々の情報。これらを携えて一日腰を据え、時計史とブランド史を堪能出来るか否か、どこまで理解度合いが進行しているのかを確かめてみたいのである。

ミュージアムの開設によって時計製作の遺産は強固に守り継がれる事になったが、フィリップは「全く新たな地平線」と表現すべきプロジェクトも並行して進めていた。彼はそのことを「技術革新を通じて伝統を永続させる選ばれた者の宿命」であるとした。2005年100個のみ製作された極めて特別な年次カレンダーRef.5250Gからそれは始まった。極めて特別であったのは従来金属製であったガンギ車にシリコン素材を採用した事である。
スイスレバー式に代表される脱進機の完成以降、機械式時計の進化の焦点は、その殆どが機械式の心臓部とも言われるテンプ廻り及びそれに連なるアンクルとガンギ車からなる脱進機の改良に明け暮れていたと言っても良いだろう。テン輪に於いては1800年代末期から1900年代前半にかけてスイス人物理学者シャルル・エドワール・ギョームが開発したインヴァール合金、エリンヴァール合金さらにはベリリウム青銅グリュシュデールが、画期的な進歩を機械式時計にもたらした。パテック フィリップ社独自のテン輪への技術革新の大きな足跡としては、1949年/1951年に特許を取得したジャイロマックス・テンプであろう。髭ゼンマイの進化では1933年に開発されたステンレス系新素材ニヴァロックスがある。
長きにわたり金属素材が独占していた心臓部廻りの主要パーツは、非磁性・耐衝撃・耐変形・耐温度変化を高度に実現するための開発競争が続いていたが、ミレニアムを迎える頃から各ブランドがこぞってシリコン素材の可能性に注目し、実用化競争が始まった。これに対するパテック社の解答が、汎用的な定番製品への搭載に先立つ試験的採用モデルへの限定的な搭載、すなわちアドバンストリサーチと呼ばれる特別な商品群の製作であった。手始めのRef.5250Gのガンギ車へシリコン素材の試験搭載に続いて、翌年の2006年にはSilinvar®と称してシリコン・ベースの新素材を開発して髭ゼンマイへの採用がなされSpiromax®と命名された。これを同年に搭載し300個限定で発表されたのが年次カレンダーRef.5350Rである。さらには2008年に第3弾としてアンクルもシリコン素材Silinvar®を用いて300個限定の年次カレンダーRef.5450Pを発表。
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完全にシリコン化された脱進機はPulsomax®脱進機と命名された。進化はまだまだ止まらなかった。シリコン化の総仕上げとして2011年にSilinvar®素材を主材として24金を部分的にインサートした砂時計形状のGyromaxSi®テンプと名付けられた全く新しいテンプが、組み込まれた永久カレンダーRef.5550Pが300個限定でリリースされた。
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このGyromaxSi®テンプ+Pulsomax®脱進機+Spiromax®髭ゼンマイの3者の組合せによるシリコン製心臓部全体パッケージを総称して、パテック社はOscillomax®と命名した。その構成部分には17件の特許技術が盛込まれている。Oscillomax®が組込まれたベースキャリバーには、1977年以来同社の実用的な基幹エンジンとして活躍してきた極薄自動巻Cal.240が採用された。従来素材の心臓部で構成される既存の240のパワーリザーブは48時間であるのに対し、高いエネルギー消費効率を誇るOscillomax®ベースのスペシャルチューンのハイスペックエンジンCal.240 Q Siでは、70時間のロングパワーリザーブへと画期的な駆動時間の延長が実現した。

ところで全くの私見ながら、現在のパテック フィリップの実用的基幹自動巻ムーブメント群の唯一の弱点は、パワーリザーブの物足らなさにあると思う。10年前までは48時間パワーリザーブも標準的ではあったが、今日に於いては最低70時間近くは欲しいのである。実際に使い比べるとスペック上では1.5倍程度の違いが、使い勝手の上で倍ほどの違いを感じてしまう。特にパテックオーナーの大部分の方に取っては、複数個の愛用時計をTPOに応じて使い分けるのは日常的であろうから、3日間放置しても"即!"再着用出来るか否かは重要である。しかしながらパテック社はOscillomax®という素晴らしい答えを導きながら、ダイナミックな定番コレクションへの搭載を見送り続けている。さらに言えば手巻の8日巻Cal.28-20系も2018年春に一旦お蔵入りさせている。1996年発表の年次カレンダー開発から始まり、アドバンストリサーチ開発を通じて、飽くなきエネルギー効率化を推進させて来た同社の流れからして、少し違和感を覚えるのは筆者だけであろうか。

文責:乾

参考・引用:PATEK PHILIPPE THE AUTHORIZED BIOGRAPHY パテック フィリップ正史(Nicholas Foulkes ニコラス・フォークス)
PATEK PHILIPPE GENEVE Wristwatches (Martin Huber & Alan Banbery)
PATEK PHILIPPE INTERNATIONAL MAGAZINE Vol.Ⅰ07,08,10 Vol.Ⅱ 01,07 Vol.Ⅲ 05 Vol.Ⅳ 01
COLLECTING PATEK PHILIPPE Vol.1(Osvaldo Patrizzi)

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